10月の巡礼行第二弾のお知らせ

10/17(水)夜出発~10/20朝帰着の恒例の巡礼行&コンサートです
東北被災地はじめての方も2度目のかたもぜひごいっしょにいかがですか

日程
10/17(水)20:00頃愛知県出発~
10/18(木)宮城県沿岸被災地を矢野司空さんの尺八「手向け」とともに巡ります~岩手県花巻温泉泊(恒例です)
10/19(金)花巻~遠野~陸前高田~気仙沼を尺八の「手向け」とともに巡礼視察しながら南三陸町歌津「平成の森アリーナ」        16:30~18:30  参加のみなさんと被災地の方たちで交流するコンサート 終了後帰路につく
10/20(土)早朝愛知県に帰着

参加費  30000円ぐらい(参加の人数で経費を折半・このなかに5000円のマイ桜基金を含む)
宿泊予約の都合上一応の一時締め切りを10/10と致します。ぜひみなさんふるってご参加ください。
またお知り合いやおともだちにもご紹介いただけると幸いです。

明日は我が身の桜ライン事務局 黒田ローザ 携帯090-8336-8080(ご相談・ご質問なんなりとどうぞ)
http://a1000z.xsrv.jp/sakuraline/
https://www.facebook.com/sakura1000

2012.10.19被災地慰霊行コンサートチラシ(PDF)

EVA(P)とSATOMI(Vo)の被災地巡礼コンサート

名古屋を中心にご活躍のジャズピアノのEVAさんと、誰もが癒される美声の歌姫SATOMIさんが1000年後の桜ラインを願ってごいっしょします。現地では仮設住宅に住む方達もたくさんお招きして、聴いたり歌ったり、素敵な時間を過ごします。
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第二回東北被災地巡礼行(2012/06/01~03)

6/1深夜、浜松を出発した月例行は先週の「炊き出し&視察ツアー」と今週の「桜生育状況&南三陸の皆さんとの交流&被災地視察」というたくさんの課題を携えてのアクションとなりました。
今回参加の浜松のF氏は特に浜松市民として「明日のわが街」はどうなるか・・・という切実な問題意識をもっての参加でした。

一番気がかりだった「なじょにかなるさ~千年桜」とマイ桜2本は、現地のみなさんがとても気にかけてくださりみごとに根付いていました。                                          
 
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「明日は我が身の桜ライン」第二回被災地巡礼行のお誘い

桜の移植には適さない時期に入りました。11月まで、植樹行はお休みです。

代わって、被災地巡礼行を催行します。奮ってご参加ください。



被災地に就業機会が失われているため「平日の昼間からパチンコ屋が大繁盛で夜は居酒屋が大賑わい」の現状をお伝えしたところ、個人事業主の方々や、中小企業主の方々から、復興支援のために一度現地を訪れてみたいとの要望も、寄せられるようになりました。私たちに求められていることは数限りなくあります。
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明日は我が身の桜ライン第1回植樹会のご報告

その場に居合わせたことを、心から感謝して、身体の奥底から喜びがこみ上げてくる、感動の植樹会から、無事に帰ってきました。

2012年4月13日(金曜日)夜2330時、出発地から参加の11名を乗せて、浜松を出発しました。
まるで航空機のビジネスクラスのような車内で、まだ見ぬ被災地の現在に思いを馳せながら、期待や不安や心配を乗せて、降りしきる雨の夜の東名高速道を、ひた走りに走ります。
途中、港北PAで、さらに東北道蓮田SAで、首都圏からの参加者が加わり、15名となりました。
さらに激しさを増したようにも思える雨をついて、バスはひたすら北を目指します。ようやく夜が明け始めた頃、バスは福島県に入りました。雨も小止みになりました。

途中の国見SAで朝食をすませて、さらに2時間。バスは東北道から三陸道を進みます。
この頃から、道路標識にも、石巻とか松島という文字が見え始め、内陸部を走っているのですが、車内には、これまでとは違う空気が流れはじめました。

石巻市内のICで、一般道に下りたバスは、しばらくして北上川の川岸を走ります。
震災当時に比べれば、ずいぶんきれいに整備された周辺の景色の中に、まだ残る津波の跡に、みんな口数少なにカメラを向け続けます。
やがて、新北上大橋が見えます。よく見ると、川の中に、破壊された橋の鉄のフレームが見えています。
橋のたもとから、いきなり見えたものは、想像もできないほど変わり果てた大川小学校でした。
誰もが声を失いました。
遺族のおかあさんたちが、日課にしていらっしゃる慰霊碑のお守りの作業の中、下車してすぐに慰霊碑にお参りしたときは、胸が詰まる想いでした。
河口から4km以上も上流のこの土地で、こどもたちや先生の生命が、こんなにも失われなければならなかったのか、すぐ裏の山の斜面を見ながら、悔しい気持ちでいっぱいでした。
一山越えた雄勝では、まだいくらか生々しさの残る光景に、「どうしてこんなことが」の声が、参加者の口から漏れました。

北上川河口一帯の壊滅した十三浜一帯を巡り、海沿いの浜と言う浜が、どこも同じように、建物の基礎部分だけを残して、すっかり失われているのを、続けざまに見た参加者から、「津波の直後から、こんなふうにきれいさっぱりしてたんですか」と質問が出たり、「まるで、もともとこんな光景の場所だったように見えて、現実感が乏しい」という声が聞こえてきたりしました。
私たちの日常との大きな隔たりが、被災地の、あまりの現実を、すぐには受け止めきれない、参加者のとまどいがありました。

南三陸の鉄骨だけになった防災庁舎では、3階建ての庁舎の屋上に逃げてさえ、ほとんどの人が津波にさらわれて亡くなった事実を、俄かには受け入れにくい思いで、みんな立ち尽くしていました。

そこから小高い丘を登れば、何事が起きたのかもわからないような風景の中をバスは走り、坂道を下って海辺に出れば、今はもう見慣れた風景になってしまった、あの基礎部分だけが残って続いている集落、そこが今回、明日は我が身の桜ラインの最初の1本の桜を植える、馬場中山地区でした。
ワカメ漁で、人手どころか、猫の手も借りたいほどの忙しさの中で、その働き手の中心のはずの人たちが、私たちを迎えに出ていただきました。「いちばん忙しい最中に来て、ゴメン」と言うと、笑いながら「そうだヨ、ほ
んとに」と応えてもらって、却って、場の雰囲気を和らげてもらいました。

 

海を眼下に見下ろす小高い場所から、さらに斜面をよじ登った場所が、
第1号の桜の、新しいふるさとでした。

 

何かしら儀式めいたことのひとつもしようかと、地元宮城の酒を1本持って行ったのですが、「サクラに飲ませるより、自分たちが飲んでサクラ色になるほうがいい」とのことで、早速、土地の人に「植えるのはココっ !!」
と決めてもらって、作業に入りました。
大した時間もかからず、千年後のひとびとに「千年前、ここまで津波が来たほどの大災害があったんだよ」と伝えてほしい、東北地方に固有のエゾヤマザクラ種の、千年桜の植樹が終わりました。

昨年の3月11日を、この場所で、身をもって経験した人たちの言葉には、とても表現できないほどの重さがありました。
「津波は、波が来るんじゃないんだ。瓦礫と土煙が、塊になって襲いかかるように来るんだ。」
「今立っているここの高さと同じ高さまで、一面海になるんだ。見たこともない、信じられもしない風景だった。」
「高いところから見ていると、自分の家が、まるで大きな洗濯機の中で、渦に巻かれているようだった。」
「私たちは昔から、大きな地震が来たら、とにかく高台に逃げろと教わってきたから、大して犠牲者も出さずに済んだ。」
「第一波の津波が、前の海の方からやって来て、屋敷の前半分が持って行かれた。今度は、第二波が、後ろの山側から道路沿いにやって来て、屋敷の後ろ半分を持って行かれてしまった。」

私たちは、今回最初の植樹にやって来て、自分たちが何かすると言うより、何もかも教わるばかりだったような気がします。
自然の力の、想像をはるかに超えた大きさのすさまじさ、これには未だに実感の伴わない苛立ちを感じますが、私たちの想像の及ばないことが、現実に存在することを、否応なしに受け入れることになりました。

気仙沼で見た、瓦礫の中に横たわる遠洋漁業の大型漁船も、今ではまるで、そこに置いたようにも見えますが、これが東日本大震災の、ひとつの現実だと、私たちは自分に言い聞かせるようにして、納得しようとしています。

私たちにとっては、これらの信じがたい自然の猛威は、「明日の我が身」と感じて、ここにやって来ました。
亡くなった方々に対して、深い哀悼の気持ちを捧げながら、失われたものへの、大きな愛惜の気持ちを抱きながら、「明日は我が身」と心に刻んで、被災地を後にしました。

それにつけても、どうしても最初の1本は、馬場中山と心に誓っていた私たちのわがままを、快く聞き入れて、希望を叶えていただいた、馬場中山のみなさんに、心からお礼の言葉を申し上げたいと思います。ほんとうにありがとうございました。

これから、馬場中山を起点に、北に1本、南にまた1本と、青森から千葉までの津波到達点に、千年の記憶を伝える桜ラインが、いつの日か完成する日まで、私たちは、倦まずたゆまず桜を植え続けたいと思っています。
被災地のひとびとが、その記憶を後世に語り継ぎたいと願ってくださり、候補地を自ら選定していただいて、私たちが植えに行くことを続けるつもりです。

また被災地以外の私たちは、一方で「明日は我が身」と心に刻み、不断に備えながら、他方で植えた桜を、それぞれに「マイ桜」として、これから末永く愛し慈しんで、被災地の真の復興を願い、ささやかな貢献ができるよう心がけるつもりです。

これまで見ず知らずだったひとびとが、「明日は我が身の桜ライン」の推進を通して、固く結びつき、本当の意味の絆を深めることができるよう、ゆっくりと確実に前進したい思います。

なお次回現地行きは、6月1日(金)夜出発、2日(土)、3日(日)夜帰着、を予定しています。
奮ってご参加ください。

植樹のための下見に行って来ました。

4/13~15日の植樹行きの準備のために東北に行って来ました。
そして桜ラインの記念すべき一本目が植えられる場所を確定してきました。

南三陸町歌津の馬場中山というちいさな漁村にその場所はあります。
そこもかつては美しいちいさな漁港とそれに続く漁村でした。しかしあの地震と大津波は
無惨にも全てを破壊し流し去りました。今穏やかに波の打ち寄せる漁港の湾には津波の爪痕の
防波堤の残骸が転々ところがっています。

船も網も道具もすべて失いました。しかし漁師の皆さんは再起を誓い、ようやく古い船を
手に入れ、わかめを育て今年のわかめの季節を迎えています。

海を見下ろす高台にかわいい小学校があります。こんなに高い場所にまで津波はきました。
小学校の建物も被害がひどく今はまだ休校中ですが、いずれはまた子供たちの声が聞こえる
ようになるでしょう。

その学校を見下ろす高台の土手に第1号の桜を植えます。
そして当時の様子を生の声でうかがいます。

未来に希望を繋ぐ「明日は我が身の桜ライン」のほんとうのスタートとなります。
被災者と明日は我が身の私たちが共感しあい支え合うこの活動が大きくそだっていくことを
強く強く願います!

植樹会情報はこちら→

第1回「明日は我が身の桜ライン」植樹会

あの3:11から1年が経ちました。
まだ終わっていないどころか、始まってさえいない東日本大震災の復興再生。
忘れないための、始めるための、総延長何千Kmになるかもしれない、「明日は我が身の桜ライン」を呼びかけます。

たった1本の桜を、海辺のちいさな漁村に植えることから始めます。
このちいさなちいさな点が、無数につながって線になる頃には、あの被災地にも、いくらか未来が見えてくることでしょう。

現地に行って見さえすれば、桜を植えるだけでは済まないことは、誰にでもわかります。
東海、東南海、南海の三連動地震を持ち出すまでもなく、全国にくまなく張り巡らされた原発のネットワークを言うまでもなく、「明日は我が身」は、日本の国土に生きる者なら誰しもです。 続きを読む