参加者 Sさん 黒田2 天候晴の毎日
今回の旅の目的は2つあります。
まずはもちろん桜植樹。 そして今回同行のSさんと共に、被災地相互の情報発信とさらに、被災地と被災地以外との間の情報交流の実現に向けたリサーチです。
Sさんは震災以来福島で散り散りに避難している方たちへの情報伝達ネットワークづくりを手がけてきた人で心強い味方です。 続きを読む
参加者 Sさん 黒田2 天候晴の毎日
今回の旅の目的は2つあります。
まずはもちろん桜植樹。 そして今回同行のSさんと共に、被災地相互の情報発信とさらに、被災地と被災地以外との間の情報交流の実現に向けたリサーチです。
Sさんは震災以来福島で散り散りに避難している方たちへの情報伝達ネットワークづくりを手がけてきた人で心強い味方です。 続きを読む
桜植樹が無事終わり、参加の皆さんとおわかれしたあとで南相馬から飯館村へ車を走らせました。
放射線量が高いのでフクシマはいまだほとんど手つかず状態です。
津波で破壊された家々も田畑も放置状態。
内陸の地震の被害がさほどでなかった家々もほとんど無人です。冷たい風が吹き抜けるのみで背筋が寒くなります。
南相馬に民家風の災害公営住宅が完成間近でした。
でも・・・・田んぼや畑にかこまれた豊かな暮しをしていた人たちがこんな狭苦しい、しかも新建材で作る家に
ぎっしりと並んで暮らす暮しを想像すると、胸が痛みます。原発さえなければこんなことにはならなかった!
チェルノブイリと似た様な状況です。そして、原発20キロには警察の検問がありそれ以上は進入禁止でした。
少し脇道からはいったあたりで突然線量計がぐんぐんと高い数値となり、どういうわけが耳鳴りがしはじめて、
驚いて引き返しました。
ちなみに通常の数値は0.03~0.04あたりです。
新たな可能性を探って 2012/12/17~12/20
天気予報は少し心配でしたが、どうやら晴天に恵まれた今年最後の東北行でした。
3.11から2度目の冬です。南三陸町はガレキはかなり整理され、基礎を取り壊す作業が続いています。
片付いた分だけ、荒涼とした風景が広がり、地盤沈下したところが一面海水が入り込み、ここが
これからまた街として立ち上がれるのだろうか?ここにもう一度街をつくっていいのだろうか?
そんな疑問すら湧いてきます。
被災者の方達の気持ちを想うとき、この2度目の冬はとても辛いものがあります。
こんな巨大なけやきが置き去りにされています。
「明日は我が身の桜ライン」の活動を通してたくさんの東北の方たちと交流してきました。
冬を迎え、被災地の暮しを考えると、遠い地に住むとりあえずはまだ被災していない私たちが
もっともっとできることがないか・・・
そんな折、「こども東北学」の著者山内明美さんのことを知りました。東北の地の持つ力と歴史
をふまえて、真の復興に尽力されている方です。
今回の旅でぜひお目にかかりたいと考え、宮城大学の南三陸復興ステーションにお尋ねしました。
「夢千年の暮らし」の考える循環する暮しはそのまま東北の真の復興と希望に結びつくのではない
でしょうか。なにか恊働できることはないか・・・そんな想いを抱いています。
クリスマスも近づいています
次に訪ねたのは伊里前川で被災された若い漁師のTさん
Tさんは津波の信じられないほどの力がかたちに残っていると私たちをこの場所に案内してくれました。
彼は牡蠣の養殖に取り組みながら、国の計画する巨大な防潮堤に異論を唱えています。
「明日は我が身の桜ライン」も自然護岸の生態系豊かな三陸海岸の復活を夢みて、応援していくつもりです。